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女子大生の記録

カバーマークの化粧水

 

SOGOでカバーマークの化粧水 セルアドバンストローションWR 150mlを買った\(^o^)/

1万円の化粧水…私も当たり前のように買う人間になりました…これはすっごく肌馴染みが良くて下地もすっと入る!

美容液はまたちょっと値段するから、今度にしたけど、まあ美容は大切ですね!☺︎ブスなんで意味あるのか?って感じだけど!

 

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ファンデの替えも購入。30番だったかな。粉とリキッドの中間で丁度いいやつ!

SOGOのクリスマス紙袋も可愛いね

12,000円以上お買い上げの方に手袋とバッグのプレゼント🎁オカンにあげました〜

 

あと、DHCのスプレーも買った。いつの間にかランクEになってたんですけど👊👊

 

 

ここ数日の昼

先週の金曜日

 

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クアトロチーズワッパージュニア。半額だったが、わたしはあんまり好きじゃなかった。

 

今週の火曜日。

 

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大容量の味噌ラーメン。学校の近くにあるのだが、非常においしい!大好き!

 

昨日、水曜日。

 

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サイゼリヤは結構好きだ。ランチはランチスープとポテサラ付きのサラダがついてお得(^_^)新メニューの茄子ミートソース。

 

本日、木曜日。

 

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大戸屋の梅チキンサラダ。出てくるのが遅い(^_^)(^_^)味はおいしかった。

 

 

 

 

「国体論と文化」

 「文化」には様々な定義がある。レイモンド・ウイリアムスの定義を引用すると、「文化」とは第一に理想、第二に記録、第三に社会生活のあり方、である。また一般的には社会を構成する人びとによって習得、伝達される精神的なもの、と考えられている。我が国の在り様を著した『國體の本義』という書物がある。これは戦後、GHQによって禁書とされた。それほど当時の日本の思想が強く表れているのである。『國體の本義』において国民文化について述べた箇所がある。そこには「文化は国体の具現である」との記載がある。そこから今回は「国体」とは何なのか、また『國體の本義』の意味する「文化」について考えていきたい。

 次に引用する箇所が『國體の本義』において「文化」について述べられている章段になる。

 

  我が国の文化は、肇国以来の大精神の顕現である。これを豊富にし発展せしめるた    めに外来文化を摂取醇化して来た。支那の明時代に著された五難爼に、経書のうち孟子を携へて日本へ往く者があれば、その船は必ず覆溺するといふ伝説を掲げてゐる如きは、凡そ革命思想が我が国体と根本的に相容れないことを物語るものであり、我が不動の精神とこれに基づく厳正な批判との存することを意味してゐる。菅原道真の語といはれる「和魂漢才」なる言葉が一般に行はれたのも、かやうな意味に於てである

  凡そまことの文化は国家・民族を離れた個人の抽象的理念の所産であるべきではない。我が国における一切の文化は国体の具現である。文化を抽象的理念の展開として考へる時、それは常に具体的な歴史から遊離し、国境を超越する抽象的・普遍的なものとならざるを得ない。然るに我が国の文化には、常に肇国の精神が儼存してをり、それが国史と一体をなしてゐる。[i]

 

つまり、日本の「文化」は新しく国家を立てた時から続く精神のあらわれなのである。日本の「文化」を発展させるために外国の「文化」を取り入れてきたが、孟子のような革命思想は日本の国体思想とは合わない。そもそも本当の「文化」とは国家や民族から離れて成立するものではなく、日本の「文化」はすべて国体の具現であるといえる。文化を抽象的な概念として考えてしまうと、具体的な歴史から離れてしまい、日本独自のものではなく世界的かつ普遍的なものとなってしまう。そうであるから、日本の文化には常に「肇國の精神」が厳然として存在し、国史と一体となっているのである。そもそも、国体とは国のありかたのことであるのだが、国体という語について尾藤氏は、

 

  政体や国家形態といえば、普遍的な概念である筈であるが、「国体」の語は普通は日本のそれについてだけしか用いられず、いわば比較を絶した日本の国風の独自性と優秀性を表現するような意味をふくんでいるのがこの語の特色であった。[ii]

 

と述べている。つまり国体は、外国における政体という語と簡単に同義とすることはできない。辞書で「国体」とひいてみると、国家の状態、くにがら、国家の体裁、とある。しかし日本語の国体は政体だけの意味ではなく、天皇統治の観念を中核とした国の在り方を示している。この観念を含めた場合、国体は日本固有の語であると言えるだろう。国体という語が日本固有であるだけでなく、そこに国風の独自性という価値を付与している。また、同じ段に「文化」と復古、創造について述べている箇所がある。

 

  かくて我が国の文化は、一貫せる精神をもつと共に、歴史の各時代に於て各々異なる特色を現してゐる。而して創造は常に回顧と一となり、復古は常に維新の原動力となる。即ち今と古とは一となり、そこに新時代の創造が営まれる。我が国の歴史を辿るものは、到るところにこの事実の明瞭に現れてゐるのを見るであらう。従つて我が国に於ては、復古なき創造は真の意味に於ける創造ではない。それと同時に創造なき復古は真の復古ではない。たゞ挙国以来一貫せる精神に基づく「むすび」こそ、我が国のまことの発展の姿でなければならぬ。[iii]

 

 こうして日本の文化は一貫する精神を持ち、歴史のそれぞれの時代において各々異なる特色をあらわす。しかし、創造はいつも回顧と同じ一であり、復古は常に維新の原動力となる。すなわち今と古は一つになりそこに新しい時代の創造がうまれる。日本において復古のない創造は真の意味における創造ではなく、創造のない復古は真の復古ではない。この「むすび」の精神こそが日本の本当の発展の姿でなければならないのである。『國體の本義』の結語は新しい日本文化について述べている。個人主義については国民性と歴史性を無視するがために全体性と具体性を失い、現実から遊離して誤った傾向に進んでしまう、と厳しく批判している。中国の思想についても革命があったことから永遠の国家の道徳にはなりえない、と判断している。極端な共産主義や無政府主義は国体と相容れないものだと容易にわかるが、民主主義や自由主義については合致するかどうかわかりにくい。次に結語の最後の二段を引用する。

 

  今や我が国民の使命は、国体を基として西洋文化を摂取醇化し、以て新しき日本文化を創造し、進んで世界文化の進展に貢献するにある。我が国は夙に支那・印度の文化を輸入し、而もよく独自な創造と発展とをなし遂げた。これ正に我が国体の深遠宏大の致すところであつて、これを承け継ぐ国民の歴史的使命はまことに重大である。現下国体明徴の声は極めて高いのであるが、それは必ず西洋の思想・文化の醇化を契機としてなさるべきであつて、これなくしては国体の明徴は現実と遊離する抽象的のものとなり易い。即ち西洋思想の摂取醇化と国体の明徴とは相離るべからざる関係にある。

  世界文化に対する過去の日本人の態度は、自主的にして而も包容的であつた。我等が

世界に貢献することは、たゞ日本人たるの道を弥々発揮することによつてのみなされる。国民は、国家の大本としての不易な国体と、古今に一貫し中外に施して悖らざる皇国の道とによつて、維れ新たなる日本を益々生成発展せしめ、以て弥々天壌無窮の皇運を扶翼し奉らねばならぬ。これ、我等国民の使命である。[iv]

 

 このように私たち日本人は国体を基にして他国の文化を摂取しながら自国の文化を創造し、発展させていくことを望まれている。西洋思想を受け入れ醇化させることと、国体をはっきりとさせることは相反するものではない。文化というのはそもそも後発国のドイツが文明との差別化をはかる意味で伝統を強調するものであり、日本もドイツの文化概念を受け入れたのではあるが、日本について考えると文明との差別化は目的ではない。そのため、日本の柔軟な思考がよくあらわれている。しかし、我々が世界に貢献するためには日本人の道を進み、国体と皇国の道とによって発展させ、「天壌無窮」の皇運を扶翼、つまり日本の国運のために助けなければならないということである。同じような文章が教育勅語にもある。この「天壌無窮」という語は日本書紀に見ることができる。

 

  因て皇孫に勅して曰く、葦原の千五百秋の瑞穂國は、其れ吾が子孫の王たるべき地なり、冝しく爾皇孫就いて治せ、行矣、寶祚の隆えまさんこと、まさに天壌と窮無かるべし。[v]

 

 「天壌無窮」という語が『国體の本義』の結語の一文に記紀神話を引用するかたちで利用されている。神話を利用することによって、天皇天皇たる所以を説明し人々に畏敬の念を抱かせる。「国体」とは、天皇の神聖性を中心に据えた国のありかたであると考えられる。「文化」というのは「肇国以来の大精神の顕現」であり、「国体の具現」である。つまり天皇の神聖性に基づく国のありかたが具体的に表出する精神的なものが「文化」であり、それは日本の歴史を知ることや、日本の精神を矜持することと一体となっているのである。

  

 

 

 

 

引用・参考文献

 

 

 

 

[i] 文部省『國體の本義』昭和十二年

[ii] 尾藤正英『日本の国家主義―「国体」思想の形成』岩波書店、二〇一四年

[iii] 文部省、前掲

[iv] 同上

[v]岩波文庫日本書紀 上巻』昭和十二年

 

私が書いたレポートを公開します。

大学4年間、最低レベルだけど勉強してきた記録をここに残したいと思う。

コピペに使えるかどうかはわからないけど、せっかく書いたレポートが教授の目にしか届かない or そもそも教授見てない(←でもたぶんこれ…涙)のは残念なので。

ここにはリンクを貼っておく。ド文系レポート☆

 

kamakiritarou.hatenablog.com